あの最終決戦から、半年。
すべては終わった。


アタシは結局、何もできないで事態の終わりを迎えていた。
何度も苦しい思いをして、嫌な気持ちを味わって、最後には死ぬ程の苦しみを味合わせられた。
あの時アタシは、真面目に死んだものと思っていた。でも、生きていた。
気が付いたら、アタシはあいつに助けられて、背負われていた。
戦自の兵士も、Nervの職員も、大勢死んだらしい。
あいつはアタシをおぶさり、泣きながらアタシにそう教えた。


それが、今から数えて一年半前の出来事。今はもう、ずっと昔のことに感じる。


今ではあの頃が、アタシにとって何だったんだろうと思う。

あれから周りでは、アタシの扱いをどうするだの、Nervの今後をどうするだの言ってたけど、そんなものはもうどうでも良かった。
あれほどエヴァのパイロットである事や、自分の存在意義を見出すのに取り憑かれていたのに、それも、もうどうでも良い。

そう。もうどうで良い。
今のアタシは、空っぽ・・・
心の中に大きな穴が、ぽっかりと空いている。
アタシにとっての夏は、もう終わってしまったの。


あの時に・・・




夏の終わり −ASUKA−



ここは、とある海を一望できる高台。
その高台の上に、アタシは佇んでいる。
高い高い崖の上に。
そして目の前には、一つのお墓。

それは・・・
あいつのもの・・・
アタシの罪・・・

今でも鮮明の思い出す、あいつのあの時の顔。
優しい、労るような、そんな笑顔。
そんな笑顔をアタシに向けながら、あいつは墜ちていった。
アタシを守って・・・
ううん、アタシを守ってじゃない・・・


アタシが・・・

アタシが・・・・


アタシは、あの頃の事を思い出していた。

いつも・・・
いつも、あいつを傷付けていた。
自分の罪を、あいつに背負わせていた。
あいつは何も言わずに、黙って背負っていた。
アタシの罪のすべてを・・・
すべて背負って、ぼろぼろになっている筈なのに、あいつは黙って笑っていた。

でもアタシは、そんなあいつに何もしなかった。
それどころか、いつもあいつを責めていた。

<あんたがアタシから、すべてを奪ったのよ!>
<あんたさえ居なければ、アタシは一番でいられたのよ!>
<あんたのせいで、みんながアタシを見てくれなくなったのよ!>

醜い・・・
それはとても醜いアタシの心・・・
そんな自分が、大嫌いだったあの頃。
嫌い、大嫌い・・・
そしてそれは、今でも変わらない。

下らないプライド。
いつも虚勢を張った心。
あいつを見下してないと、自分を保てなかった弱いアタシ。

あいつを傷付け、いつも詰っていたあの頃。
あいつを詰れば詰るほど、自分も傷付いていたのに。
そんな事さえも気付かずに、ただあいつを傷付けていた、あの頃。
それでも何も言わなかった、あいつ。

泣きたければ泣けばいいのに、泣こうとしなかった。
好きだったら好きだと言えばいいのに、言えなかった。
弱い心のアタシ。
最低なアタシ。
汚い心のアタシ。
それでもあいつは、こんなアタシの側にいてくれた。
居てくれたのに・・・

そんなあいつを、アタシは・・・
アタシはあいつの命さえも、人生さえも、未来さえも、奪ってしまった・・・
アタシの逃げによって・・・



あの時、アタシはあいつから逃げるようにして、部屋を飛び出した。

きっかけは、些細な・・
そう。ほんの些細な事だった。
そのほんの些細な事で、アタシはまたあいつを傷付けてしまった。

アタシは、少しでもあいつから離れようとしているかのように、懸命に走った。


言ってしまったから。
あいつに言ってはならない事を、言ってしまったから。

<もういいわよ!アタシなんて・・・ここに居ない方が・・・この世に居ない方がいいのよぉ!>
<死んでやる!死んでやるんだからぁ!ア、アタシは・・・いつだって死ねるんだから!>
<あんたと違って・・アタシは・・アタシはぁ!・・・・もう嫌ぁ!!!>

あいつは、絶対にあたしを怒ろうとしなかったけど、ただ一つだけ怒る事があった。
それは、死ぬ事を言うこと。
そんな事を言うと、あいつはとても怒る。そして、とても悲しむ。
アタシはいつの間にか、そんなあいつを見たくない。そう思うようになっていた。
だから、アタシは逃げ出した。
あいつが怒る前に。
あいつが悲しむ前に。

逃げて、走って、逃げて・・・

どれくらい走ったのか、いつしかアタシはこの場所に着いた。
アタシは、肩で息をしていた。

とても苦しかった。
でもそれは、走ったから?違う。
あいつの、悲しむような事を言ったから苦しい。
またあいつを、傷付けてしまったから苦しい。

とても怖かった。
また一人きりになってしまうから?それよりも。
あいつが悲しむのが怖い。
あいつが怒るのが怖い。

だから、あいつから逃げ出したんだ。
だから、こんなに苦しいんだ。
だから、こんなに怖いんだ。

もう帰れない。

あの時アタシは、そう思い込んでいた。
きっとあいつは怒っている。
だからもう帰れない。
これでもう、アタシの居る場所なんて無くなってしまった。
そう思っていた。

本当に死のう。

そんな事を考えた。
下を見る。
高い。とても高い。
吸い込まれてしまいそうな程、高かった。
あと一歩踏み出せば、楽になれる。
そう思っても、足が動かなかった。
それがどうしてか、あの時は判らなかった。
でも今は判る。
死にたくなかったんだ。
あいつの側から、離れたくなかったんだ。
何であの時、気が付かなかったんだろう?

アタシが躊躇していると、あいつが追い付いてきた。
肩で息をしながら、一生懸命アタシに謝っていた。

自分が悪かったって。

アタシ達の家に帰ろうって。

本当は凄く嬉しかった。
でもあいつの声が、あいつの表情が、アタシを刺激する。
醜い心を、引きずり出す。

<何しに来たのよ!アタシはこれから死ぬんだから!邪魔しないでよ!>
<はん!あんたはただ、自分が一人になるのが嫌なだけなんでしょう?冗談じゃないわ!>
<いい加減にしてよ!もう!気持ち悪いのよ!>

言葉の刃が、あいつを傷付ける。
それでもあいつは、アタシに呼び掛ける。汗を掻きながら。
でもあいつの前だと、素直になれない。
こんな自分も嫌い。

<近寄らないで!アタシは・・アタシはぁ!・・・>

あいつが悲しい顔をした。

苦しい・・・

だったら、言わなければいいじゃない。

悲しい・・・

だったら、謝ればいいじゃない。

あいつの顔が、真っ直ぐ見れない。
顔を背けてしまう。
少しずつ後ずさる・・・
ふと、片足から地面の感覚が無くなった。

え?アタシ・・墜ちるの?

その時不意に、あの時の感覚が蘇る。

<死ぬのは嫌>

フラッシュバックする記憶。
アタシが犯してきた、色々な罪。
色々な事・・・
なぜか必ずその記憶の中に居る、あいつ・・・

そして、その記憶の中のあいつと重なって、アタシに手を伸ばすあいつ。
























『アスカァ!!!!』





















奇妙な浮遊感がアタシを包んだ。





















気が付くと、あいつがアタシの手を掴んで引き込んでいた。
アタシは寸でのところで、あいつに助けられていた。
今まで見たことがない、力強いあいつ。
必死な顔をして、アタシを自分の方へ引き込んでいた。
まるで空中を泳ぐように、あいつに引き寄せられていくアタシ。
そしてあいつの胸の中に収まるようにして、抱き寄せられた。
ほんの少しだけの安心感と、幸福感。
あいつの腕の中で、アタシは思わず目を閉じていた。

でも・・・

あいつって、こんなに力があったんだ。
そんな風に思うと、突然あいつが怖くなってきた。
怯えたような表情で、あいつの胸から飛び退き、またあいつを傷付けてしまう。

<なによ!なんで助けたのよ!!生きる価値なんて無いアタシなんか!!!>
<ふん!さぞ良い気分でしょうね!価値のないアタシを助けてさ!>
<何とか言いなさいよ!無敵のシンジ様!>

とても悲しそうで、やりきれないあいつの顔。

その目の前にいる、とても心の醜いアタシ。

なんて醜いんだろう・・・

もっと他に掛けるべき言葉があったのに。



【助けてくれて、ありがとう。】



なんでこんな簡単な言葉を、言えなかったのだろう?
なんであいつの顔を見ると、いつも傷付けてしまうんだろう?
なんで素直になれないんだろう?

判っている。
甘えてたんだ。

アタシはあいつに甘えて、甘え切って、我が儘言っていただけなんだ。



『アスカ!!!!!!』

アタシがバカな事ばかり言うから、あいつが遂に怒ってしまった。
今思えば、アタシとあいつが再び二人きりで暮らすようになってから、あいつが怒鳴ったのはあれが初めてだった。

ビクッ

あいつの声に震えるアタシ。
浴びせていた罵声も止まる。

『なんで・・なんで、そんなに自分を傷付けるのさ!なんで、そんなに自分を貶めるのさ!なんで、そんなに自分を殺そうとするのさ!いい加減にしろよ!!そんなんじゃ、アスカ自身だって救われないって、判ってるだろう!!』

あいつの言葉が、アタシの心に食い込んでいった。


痛い。

何が?

心が。

どうして?

あいつをまた傷付けてしまったから。

あいつを悲しませてしまったから。

あいつを怒らせてしまったから。


あいつの怒声に、アタシはいつの間にか俯いていた。

『さ、アスカ。帰ろうよ。』

俯いているアタシに向かって、あいつは優しい言葉を掛けてくれた。
あいつの手が、アタシの肩に触れる。

暖かかった。

でもあの時のアタシは、その暖かさえも怖かった。
思わずあいつを突き飛ばしてしまう。

<イヤァッ!!>

ドン!

その時やっと気付いた。あいつは、アタシと体を入れ替えていたんだ。
バランスを崩し、あいつは・・・

一瞬、アタシは何が起こったか判らなかった。
あいつも、何が起こったか判らない顔をしていた。

ゆっくりと、あいつの体が宙に舞った。
スローモーションみたいに、あいつの体がゆっくりと低くなっていく。
やっと判った。

アタシは・・・
あいつを崖の上から突き飛ばしてしまったんだ!

あいつも判ったみたい。
自分が、崖の上から墜ちてるんだと言うことに。
でも、あいつの顔は穏やかだった。

アタシに向かって、いつもの微笑みを投げ掛けながら、あいつは・・・

あいつは・・

あいつはぁ!!!

なんで、なんでこんな時くらいアタシを憎まないのよ!!
なんで「よくも僕を突き飛ばしたな」って言わないのよ!!
なんであんたの心って、そんなに綺麗なのよ!!




















なんで・・・アタシの心って、こんなに汚いのよ・・・


















なんで。




















なんで。



















なんでぇ・・・




















バカ・・
あんたホントにバカよ・・・




















でも・・
アタシはもっとバカ・・・




















アタシは、あいつが墜ちていった断崖で、跪いてただそう呟いていた。


そして、夜が明けた。


アタシは、一晩中崖下を見つめていた。
ここに居れば、あいつが戻ってくるかも知れない。
そう思って。

でも、あいつは・・・


帰ってこなかった。


あの時のアタシは、もう何も考えられなかった。
何か大事な物を無くしたような、何か大事な物を壊してしまったような感じ。
アタシの心にはぽっかりと大きな穴が空いた感じを、本当の意味でアタシは初めて味わった。
頼りない足取りで、アタシは部屋に帰った。



<ただいま・・>


誰もいない部屋。


キッチンには、あいつが下ごしらえしていた夕食の材料が、そのままの姿で放置してあった。
それを見たアタシは、先程までの出来事が、まるで夢だったかのような気がしてきた。

すぐにでもドアが開いて、あいつが入ってきそうな・・・

そして、いつもの声で「ちょっと買い足し行ってたんだ」って・・・

「ごめん。すぐ夕御飯作るから」って・・・

「もうちょっと待っててね。アスカ」って・・・





そんな事、もうある訳ないのに・・・・・





アタシがあいつを、帰って来れなくしてしまったのに・・・・・






涙が出てきた。
自分でも、どうしようもないくらい悲しかった。
居なくなって初めて、あいつの存在がこんなに大きかったって気付くなんて。
そんな自分に腹が立って、どうしようもなかった。
後から後から涙が流れて、止まらなかった。
悔しくて、悲しくて・・・

アタシは、泣きながらNervに連絡した。
Nervからすぐに捜索隊が出て、あいつを捜してくれた。


それから、一週間経った。


でもあいつは、見つからなかった。
一週間掛かって見つかったのは、あいつの履いていた靴の片方だけだった。

アタシは、ようやく思い知った。
あいつはもう、居ないんだって。
アタシがあいつを、殺したんだって。

アタシはその時の事を、マヤに話した。

でもアタシのした事は、そのまま揉み消されてしまった。
結局、あいつは行方不明のまま、捜索が打ち切られた。


それ以来、アタシは以前よりも生気の無くなった顔で、日々を過ごしていた。
何とかアタシを元気付けようと、マヤが何度か来て色々話していたが、もうどうでも良かった。
以前にもましてアタシは、無気力に、自暴自棄になっていった。
そしてその内に、マヤさえも来なくなった。

アタシにとっての夏は、あの時に終わりを告げていたんだって、嫌という程感じた。
アタシにとってのあいつは、もう切り離すことの出来ない存在だと言う事も、今更になって気が付いた。
何もしなくて良い。ただ居てくれさえしてくれたら良い。
今更ながら、そんな事を思っていた。虫の良い話よね。


でも、あいつはもう・・・

それだけで、今のアタシの心は・・・

冬のただ中・・・

今にも凍えそうな真冬・・・


あれ以来、毎夜夢にあいつが出てくる。
夢の中でも、あいつは何も言わない。
ただ黙って、アタシをあの優しい目で見つめてるだけ。
せめて夢の中だけでも、アタシを責めてくれればどんなに楽だったか。
でもあいつは何も言わない。

目が覚める度に、アタシは強い後悔の念に苛まれる。

なぜあの頃、もっと素直になれなかったのだろうと。

罪の意識に苛まれる。

なぜ一言、あいつに謝れなかったのだろうと。

あれ以来、一週間に一度あいつを殺してしまった日に、アタシはここに来ている。
あいつの亡骸も眠っていない、自分で建てたあいつのお墓の前に。

ここに来ては、崖の下を見下ろし、あいつのことを思い出していた。
ここに来ては、何度もここから飛び降りようと考えた。

でも結局出来ずに、逃げ帰る。

そんな事を続けて、もう一年になる。


そしてアタシは、今日もここにいる。
今日でちょうど一年。
アタシがあいつを殺してしまってから、ちょうど。
この一年、色々考えた。

あいつの事。
自分の事。
周りの事。

あの頃のアタシは、ただあいつに縋っていただけ。
自分だけが傷付くのが嫌で、あいつも傷付けていただけ。
いつまでも、過去に取り憑かれて、つまらないプライドに取り憑かれて、素直になれなかった。
思い出せば思い出すほど、考えれば考えるほど、アタシは自分が嫌になってくる。
自己嫌悪と自己否定、以前アタシが壊れてしまっていた時に、繰り返していたこと。
それが再びアタシの心を、蝕んでいくのが判った。

でもその中で、アタシに気付かせてくれたものもあった。

それは、アタシもあいつと同じだったと言うこと。
以前、あいつがアタシに縋ってこう言っていた事があった。

『助けてよ』
『ここに居ても良いよね?』
『僕に優しくしてよ』

あの時、アタシはあいつにもの凄い嫌悪感を感じた。
アタシに寄り掛かって生きようとするあいつが、たまらなく嫌だった。
だからアタシは、あいつを拒絶した。

でも、アタシのやっていた事も、それと同じだったんだ。
アタシは、あいつを自分に縛ることによって、自分がここに居るべき人間だと思い込もうとしていたんだ。
あいつを自分に縛り付けて、あいつがアタシを必要としてると思い込もうとしていたんだ。
だからあいつも、必要以上アタシに近付いてこなかったんだ。

自分から何もしなければ、何も変わらないのに、そんな事を今更になって気付くなんて。
そんな事すら気付かないで、悪戯にあいつを傷付けてたなんて。

アタシって、バカよね。
ホントに大バカ。

それでもこんなバカなアタシを、見捨てないでいたあいつ。
こんなバカなアタシを、心配していてくれたあいつ。

もう一度あいつに逢いたい。
逢って謝りたい。
謝ってどうしようと言うのか、自分でも判らない。
でもあいつに逢いたかった。


そしてアタシは決めた。

あいつの所へ行こう。

あいつの所へ行って、あいつに謝ろう。

謝って、謝って、あいつに許してもらおう。

アタシはあいつの居る、天国へは行けないかも知れない。

でもたとえ地獄に落ちても、あいつと同じ所へ自分を置きたかった。

それがこの一年で、アタシが考えてきた事だった。
あいつはきっと、悲しい顔をするかも知れない。
もしかしたら、なんてバカな事をしたのかと、あいつは笑うかも知れない。
結局アタシは、あいつのいない現実から逃げてるだけなのかも知れない。
あいつを殺してしまった罪から、逃げようとしてるだけなのかも知れない。

それでも良い。
アタシはあいつを追いかけたかった。

あいつの所へ、あいつの側へ行きたかった。

もう、自分以外、何もないこの世界で一人で生きるのに、疲れてしまった。
もう、あいつの事を悔やんで一人で生きていくのに、疲れてしまった。
もう、あいつに何もできなかった自分を悔やんで生きていくのに、疲れてしまった。



だから、アタシは・・・


足を一歩踏み出す。



今から、そっちに行くからね。

今度こそ、謝るから。

今度こそ、優しくしてあげるから。

今度こそ、あんたを必要としてるって、はっきりと言うから。

今度こそ、あんたを好きだって、ちゃんと言うから。

だから・・・

アタシを許して・・・










シンジ・・・










足の底から、地面の感覚が消えた・・・










奇妙な浮遊感。










あの時と同じ。










もうすぐ行くからね・・・シンジ・・・










墜ちようとした・・・その時。










急に誰かが、アタシの手を掴んで引き戻した。

とても強い力で。
あの時のあいつと同じように。
アタシを、現世に引き留めた。
アタシは少し混乱していた。
ゆっくりと閉じていた目を開く。

そこには・・・




















死んだ筈の、死んだと思ってた、アタシが殺した筈のシンジがいた・・・





















変わらぬ優しい眼差しをして。少しだけ悲しそうな顔をして・・・




















アタシは声が出なかった。

どう言うこと?
これは夢?
アタシは死んで、もうあいつの所へ着いたの?
それとも、あいつが生き返ってきたの?

混乱してるアタシに、あいつは声を掛けてくれた。

「ア・・アスカ?アスカなの?」

だけど、あいつの言ってる事は、少し変だった。
まるで、あたしに会うのが信じられないと言った風だ。
それとも飛び降りようとしたアタシに、驚いているのかな?
でもアタシはそんな事には構わずに、あいつに取り縋っていた。
あいつの顔を見た途端、変わらぬ声を聞いた途端、アタシの頭の中は、色々な感情や想いがごちゃ混ぜになって、ぐるぐると回っていた。

バカ・・あんたバカよ・・・あんたホントに大バカよぉ!!!なんで・・なんでアタシを一人にしたのよぉ!!!このバカァ!・・大バカシンジィ!!!!」

あいつの胸にしがみつきながら、もう恥も外聞もなく取り乱すアタシ。
あいつはただ、そんなアタシに困惑しているだけだった。
それでもアタシは、以前の自分のことを棚に上げて喚き続けた。

「あんたが居ないこの一年。アタシがどんな気持ちでいたか判る?毎晩あんたの夢を見るのよ!目が覚めたときの気持ち・・気持ちが・・き・・も・・・・・こ・・のバ・・カ!・・バカ・・・・ばか・・・バカァッ!!!!!!」

アタシは何を言ってるのか、自分でも良く判らなくなっていた。
堪えきれなくなったアタシは、ただあいつの胸に縋り付いて、あいつの胸を叩いて、大声を上げて泣き出した。
あいつは、突然大声を上げて泣き出したアタシに、訳も分からずに、ただ困惑しているだけだった。
無理もないよね。だって、いきなりあいつを怒鳴りつけたかと思うと、急に大声で泣き出すんだもの。
それに、アタシがあいつの前でこんなに大泣きするなんて、初めてだもんね。
あいつは、ひたすら大泣きするアタシにどうしていいか判らず、ただアタシの髪を優しく撫でながらひたすら謝っていた。

「ごめん・・ごめんよ・・ごめん」

変わらぬあいつの言葉に、優しさに、アタシは心が今にも爆発しそうだった。
でも心が満たされていくのが、自分でも判った。
無くしてしまっていたものが、見つかったような、壊れていたものが、直ったような、そんな感じ。
アタシは大声で泣きながら、そんなものを心に感じていた。

やっと気付いた。

なんであんなに辛かったのか。

なんであんなに痛かったのか。

アタシはこいつが、欲しかったんだ。

欲しくて、たまらなかったんだ。

その気持ちを、自分で形に出来なかったから、いつもイライラしていたんだ。

そんな事を思いながらあいつの胸の中で泣いていると、今までのすべての悩みがどうでもいい事に思えてくる。
温かい手の感触を感じていると、あいつを傷付けていたことへの負い目や、あいつに罪を背負わせていたことの負い目が、頭の中から消えていく。

ただこのまま、あいつの手の感触に溺れていたい。
このまま、あいつの鼓動を感じていたい。

なんて現金な女だと、思われるかも知れない。
なんて自分勝手な女だと、思われるかも知れない。
自分でもそう思う。

それでも良いんだ。

アタシはあいつの側に居たい。
アタシはあいつの温もりを感じたい。
アタシはあいつのことを見ていたい。
アタシは・・・
アタシは・・・・
アタシは・・・・・

ここに居たい!

あいつの、シンジの側にずっと居たい!

居たい!居たい!!居たいんだ!!!

そしてあいつへの気持ち。今はまだ、きちんと言えないかも知れない。

でもいつかは言おう。

やっと判ったんだって。

あいつに、あんたのことが好きだって。

あいつに、アタシの側にずっと居て欲しいって。


居てくれるよね?

もうあんなバカなこと言わないから。

もうあんなバカなことしないから。

見ててくれるよね?

もう傷付けたりしないから。

もっと優しくしてあげるから。

あんたを必要としてるって、必ず自分から伝えるから。


アタシはあいつの温もりを感じながら、心の中で繰り返し呟いていた。
あいつも黙ってアタシを抱きながら、優しく髪を撫でていてくれた。
混乱していたアタシの心が、だんだん静まっていくのが判る。
あいつとアタシの鼓動が、一つになっていくのが判る。





アタシとあいつは、緩やかな潮風に包まれながら、いつまでも一つになっていた。





−エピローグ−

あれから一週間が過ぎた。
アタシ達は、また以前のように一緒に暮らしている。
シンジはこの一年、自分が何処にいたのかを話してくれた。

『僕は、あそこから落ちたけど、別の怪我らしい怪我はしてなかったんだ。落ちたショックで僕は気を失って、近くの浜辺に流されて打ち上げられてたんだ』
『僕が打ち上げられていた浜辺で気を失ってたら、近くに住んでいた、かなり歳をとった老夫婦に助けてもらったんだ』
『でも僕は、記憶が無くしてしまってたんだ』
『自分が誰なのか。自分はどこに住んでたのかさえも、思い出せなかった』
『でもその人達は、何も言わずに僕のことをまるで本当の子供みたいに接してくれてたんだ。凄く嬉しかった。僕も本当の親みたいに感じてた』
『でも記憶を無くして以来、僕は毎晩毎晩、不思議な夢を見るようになったんだ』
『いつもアスカにそっくりな女の子が、僕のことをじっと見つめてる夢だった。僕が何を話し掛けても、その女の子はいつも僕のことをじっと見つめてるだけなんだ』
『しばらく僕のことを見つめてると、今度は泣き出すんだ。何も言わないで、ただ泣いてるんだ』
『僕がその娘に、どうしたのって言いながら手を触れようとすると、いつもそこで目が覚めるんだ』
『僕は記憶が無くなってたけど、その女の子が、絶対に忘れちゃいけない娘のような気がしてた』
『今はそれがアスカだったんだって、はっきりと判る』

あいつがアタシのことを、【絶対忘れちゃいけない娘】って言った時、アタシはちょっと嬉しかった。
それからあいつは、あの日、何であそこにいたかも話してくれた。

『あの日、いつもと違う夢を見たんだ。いつも僕を見て泣いてる娘が、その日に限って僕から遠ざかって行く夢だった』
『僕は、何度も呼び掛けたけど、その娘はいつものように何も言わないでいた。でもそのまま僕に手を振って、だんだんと遠ざかって行くんだ』
『記憶が無い筈なのに、なぜか凄く怖かった。そのまま、もう逢えないんじゃないかって思った』
『朝、目が覚めたとき、僕はその事を思い出して、居ても立ってもいられなくなった』
『僕は家を飛び出して、辺りを探し回ったんだ。どこにいるか判るはず無いのに。夢の中に出てくるあの娘が、誰かも判らないのに。でも、そのままじっとしていられなかったんだ』
『でも判るわけないよね。記憶を無くしてたんだから。僕は途方に暮れて、ただあてもなく歩いてた。そうしたら、いつのまにかあの場所に辿り着いていたんだ』
『記憶を無くしてた筈なのに、僕はその場所に何かを感じたんだ。でも、その何かが何なのか、判らなかった。』
『僕は釈然としない何かを感じながら、ただあの辺りを見回してたんだ。そしたら、夢の中に出てくる娘と同じ髪の色の娘が目に入ったんだ。それが、アスカだった。でもその時は、まだ記憶が戻ってなかった。ただ、夢に出てくる娘に似ているなって、そう思いながら見ていただけなんだ』
『僕が黙ってその娘、アスカを見ていると、今度はアスカがあそこから飛び降りてしまうような気がしてきたんだ。その気持ちが、夢の中の事と重なって、気が付いたら走り出してた』
『僕が走り出すと、アスカは確かに飛び降りようとしたんだ。その時のアスカを見たとき、僕の頭の中で、何かが何度も弾けているように感じてた。でもその時の僕は、そんな事気にしてなかった。ただ、アスカの所へ辿り着く事だけを考えてた。』
『そしてアスカの手を掴んだとき、頭の中で何かが弾けて、記憶が戻ったんだ』

なんか信じられないよね。でもそれは現実。
でもこの都合の良い現実は、アタシにとって嬉しい現実だった。
だって、あいつが無事に戻ってきてくれたから。
それだけじゃないけど、今はどう表現していいか判らない。
今シンジは確かにアタシの目の前にいる。今はそれだけで良いの。

それからあいつは、助けてくれた老夫婦の所へ、アタシを連れて行ってくれた。
二人共凄く優しそうで、あいつの記憶が戻ったことを伝えたら、自分の事のように喜んでくれた。
あいつ、お婆ちゃんに頭を撫でられて、照れくさそうだったけど、凄く嬉しそうだった。
それから、あいつったらアタシの事を二人に紹介する時「僕の大事な人」って・・もう、恥ずかしいじゃない。
お婆ちゃんは「良かったね。良かったね」って言って、涙ぐみながら今度はアタシの頭を撫でてくれた。
恥ずかしかったけど、くすぐったかったけど、凄く暖かかった。
アタシ達が帰る時、二人は一緒に住んで良いって言ってくれた。
でもあいつは「僕達は、二人で助け合って、支え合って暮らしていきます。だから、もう大丈夫です」って言って、断ったの。
アタシは、一緒に住んでも良いって言ったのに。
でも二人は、気を悪くするどころか逆にアタシ達を「頑張るんだよ。寂しくなったら、いつでもおいで」って言って、送り出してくれた。
なんかアタシにも、この二人が本当の両親みたいに思えてきた。
家を出てから、アタシはあいつに「今度は、もっとゆっくり遊びに来ようよ」って言ったら、「そうだね」って優しく言ってくれた。
凄く嬉しかった。


あれ以来アタシ達は、お互いの距離が凄く縮まった。
本当の意味で、本音で接するように出来るようになった。
この一年、離れ離れになっていたのが、お互いを少し成長させたみたい。

自分で言うのもなんだけど、アタシも随分と大人しくなった。
あいつの言う事を、きちんと受け止めることが出来る。
もちろんあいつも、アタシの言う事をきちんと受け止めてくれる。
そしてあいつは、アタシの目を見てきちんと自分の言葉を伝えてくるようになった。
アタシも、以前のようにあいつに対して、つまらない虚勢を張ることもなくなった。
プライドが相変わらず高いのは、ご愛敬ってところよね。あいつも、その方がアタシらしいって言ってくれたし。
もうアタシ達は、お互いにより掛かって生きようとしないと思う。
これからは、アタシはあいつを支えて、あいつはアタシを支えて生きて行けると思う。
確証はないけど、そうしていける自信もあるし、そう感じる。

なぜそんな事、思うかって?それは・・・

昨日の夜、あいつがアタシに、自分の気持ちを伝えてくれたから。
アタシもあいつに、自分の気持ちを伝えたから。

アタシとあいつが、なんて伝え合ったかは、今はまだ秘密。
気が向いたら、その内話すと思うわ。

あ、あいつがアタシを捜してる。行かなきゃ・・・

それじゃ・・・ね。




夏の終わり −ASUKA−

THE END

This Novel Written From 未神 瞬


「夏の終わり」
浜田省吾の同名の曲からの拝命。



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