A NEW BEGINNING
「 お父様、お母様、長い間お世話になりました。」 定番の言葉だ。これでも悩んで悩んで悩んだ末に決った台詞なのだけれど、言っている時は結構情けなく感じて、言い終わった後には思いもよらない感情が溢れてくる。アタシは思いがけず、涙ぐんでしまった。 「 はい。ご苦労様、アスカ。」 「 うむ。」 「 へ?・・・それだけ?」 「 なんだ、他にもっといって欲しい事があるのか、アスカ。」 「 え、あ、いやその・・・・。」 「 なぁに、アスカったら反対でもして欲しいの?」 「 や、だからその、そーゆーわけではないんだけど、実の娘がこうやって育ててくれた事への感謝の気持ちを素直に表現してるのに、それだけなの?」 ドラマなんかではホラ、娘がお嫁に行く前にこうやって正座して、三つ指ついて深々と挨拶をすると母親は真っ白なハンカチで目元なんかを拭っちゃって喜んでくれたり、父親なんかは妙に口を一文字に引き締めちゃって、流れる涙を引き止めようと必死に上を向いちゃったりして、しかも腕組みなんかをしちゃってるシーンがよく流れるじゃない?アタシは目元にたまった自分の涙がバカバカしく思えてきた。アタシの両親ときたら、パパなんて新聞見たまま『うむ。』としか言わないし、ママなんかお茶を啜りながらテレビのドラマ、しかも不倫モノなんかを嬉々として見たまま『ご苦労様』ときたもんだ。アタシの回りだけ木枯しが吹いてる様な錯覚に見舞われてしまったよ。 「 ・・・なんか問題でもあるのか? アスカ。」 「 いや、問題はないんだけどね。」 「 !!まさか、お嫁に行きたくないとか言い出すんじゃないでしょうね、アスカちゃん。もしそうだったら、ママは泣きますよ!」 「 ・・・・。」 普通は逆だ。お嫁に行きたくないと娘が言ったのならば、まず父親は嬉々として娘を抱きしめ、『ずっとここに居るがよい』なんて言っちゃったりして、そいでもって母親も、何も言わずに微笑んでくれるはずだ。それなのに、このリアクションは一体何なのだ!アタシは、アタシの存在は・・・何なのだらう??? 「 アスカ。お前、結構ハズカシイ様な事、想像してないか?実は私に口を一文字に引き締めて涙を堪えて欲しいとか思ってないか?ん?」 「 あら、アスカちゃんて意外とロマンティストなのね♪」 「 いいか、アスカ。お前はドラマの見すぎだ。世の中そんなに甘くないぞ!」 「 そうよ、アスカちゃん。ママはあんなに可愛い息子が出来て願ったり叶ったりなんだから。」 「 ついでに言っておくがな、そういう挨拶はお嫁に行く日の朝にするものだ。前日の夕食の後のくつろぎの一時に言うものじゃないぞ。大体、お腹が膨れていい気分の時にそんな話して、感動するとでも思うのか?私だったら食欲の後の睡眠欲には勝てんぞ、アスカ。」 「 そうよ、お嫁に行くとは言ってもお隣りに嫁ぐだけじゃないの。親元を離れるって言っても、同じ市内の5分と離れていないマンション借りるんだから、今までと全然変わらないわ。」 「 ・・・・(;;)」 ぐうの音もでやしない。アタシはボロクソに言われてしまった。例えばこれが、嫁ぎ先の姑さんに言われているとするならば納得はしよう。しかし、実の両親にここまで言われて良いものか?いや、答えは否だ。アタシは、今の自分の容姿を与えてくれた両親には多大な感謝を持っているが、今の状況の両親には憎しみさえ抱いてしまった程だ。・・・反論出来ない所がまた悔しすぎる!!! 「 ・・・なんか、アホらし・・・。」 急に全てがどうでも良くなってしまったアタシは、両親と共にリビングでくつろぐべく、自分の指定席に落ち着いた。ダイニングとは別に、リビングには小さなテーブルと、それを挟むように二人掛けのソファーが置いてある。ひとつはパパ&ママ専用で、もうひとつは昔からアタシ&彼専用だった。これを買ったのがもう10年以上も前の事だから、それと同じくらいの年月をこのソファーにアタシと彼が座っていた事になる。月日が経つのは早いもので、アタシ、惣流・アスカ・ラングレーは既に22歳になっていた。 「月日が経つのって、早いわねぇ。でも、遅かったわ、ねえ?アナタ?」 「 ん?ああ、そうだな。早いが、遅かったな。」 「 ??? 」 夫婦というものはこういう物らしくて、阿吽の呼吸というのか、言葉に主語を交えずに会話しても全て伝わっているのだ。まぁ、アタシもアイツとの会話だったら結構はしょって話している事が多いのだから理解は容易だけれど、この会話の意味はまったくわからない。小さい頃はきっと細かい説明抜きでもわかったのだろう。でも、今は両親との会話には一々細かい説明を織り交ぜないとわからない事が増えたような気がする。それはきっと、アタシが大人になってしまったという事と、両親よりも大切な人ができたからという事だからなのだと思う。事実、全てとは言わないけれど、アタシはこの世の誰よりもアイツの事がわかると、自信を持って言う事が出来るのだから。 「 今になって考えると結構早かった様に思えるが、結構待たされたよな。」 「 そうですね。結構待たされましたよ。」 相変わらずパパは新聞を読みふけり、ママはドラマに見入っている。それでもこのふたりは通じ合っているのだ。これが夫婦なのだと考えると、アタシはこれからの自分とアイツを想って、少し嬉しくなった。 「 ・・・あのさ、話が見えてこないんだけど・・・。」 「 そうか、アスカには話が見えてこないか・・・。悲しいなぁ、ママ。」 「 ・・・ええ、こうやって子供は親に見きりを付けていくんですね、パパ。」 このふたり、言葉では悲しそうな事を言っているのだが顔は全然悲しそうじゃない。どーでもいいから娘のアタシがわかるように会話してほしいものだ、まったく。 「 だから、何のことかわかんないんだけど。」 「 まったく、相手が彼じゃなかったら嫁ず後家にしてたんだがな・・・。」 「 アナタ、それはちょっと女として賛同できないわよ。」 「 父親として言ってるんだから当然だろ?」 「 ・・・ねえってば。」 「 22歳で結婚、23歳で出産。小学校の授業参観では『 お母さんって、若くてきれーね。うらやましいなぁ〜。』って言われるの、結構嬉しいんですよ、アナタ。」 「 そりゃま、そうだろうな。父親だって同じだぞ。『 お父さん、若くてかっこいいね。髪の毛もふさふさでさ、うらやましいなぁ〜。』と言われるのは優越感に酔いしれて嬉しいぞ、ママ。」 「 あら、父親でもそう思うの?」 「 もちろんだ。お互い、年は取りたくないよな。」 「 そうですねぇ、絶対運命20歳でいたいわぁ〜。」 「 ・・・あのさ、なにが結構早くて、でも遅かったのか、説明してくんない?」 いつまでも続きそうな夫婦漫才にも飽きてきたアタシは、最初の疑問に戻るべく、冷ややかな声でお邪魔に入った。残念だったのは、今の会話をビデオに取り忘れた事。もし、記録する事に成功していたのならば、きっと何かの席で役に立った事だろう。 「 なんだ、まだわからなかったの?早く孫を抱きたかったなって事よ、アスカ。ねぇ、アナタ?」 「 ああ、そうだ。もっと早く孫が生まれていれば、ヤングなグランパでさぞ嬉しかった事だろうに・・・・。」 「 ・・・・(^-^;)」 「 大体アスカ。お前は彼と婚約してどれくらい経ってるんだ?」 「 ・・・えと、高校出る時にしたから4年。」 「 まったく、彼が18歳になったと同時に結婚しても良かったのに・・・。おかげでママは50歳が目前よ・・・。」 「 そういう事だ、アスカ。まぁ、仮に彼が父親にそっくりな顔立ちをしていたら絶対許さなかったがな。」 「 そうそう、あの子、ホント母親にそっくりな奇麗な顔立ちで良かったわ。でも、後頭部は間違いなく父親似ね。」 「 後頭部ぐらいは問題無いだろう。性格も母親似だ事だし、物心つく前から教育した甲斐があったな。」 「 ふふふ、まったく。」 「 へ?なによ、その教育ってのは???」 「 教育は教育だ。」 「 だから、なんの教育よ!」 「 まぁまぁ落ち着いてアスカ。花婿修業みたいなものよ、教育って。」 「 そうそう。物心つく前から惣流家の娘を娶る為の高等教育をしてきたんだ、彼にはな。ハッハッハ。」 「 あっきれたぁ!!!」 何が教育だ!そーいうのは『 調教 』って言うのよ、まったく!うちの両親ときたら、アタシがアイツ以外の男と結婚するとか、考えなかったのかしら。まぁ、アタシも考えてなんてなかったけどさ、アタシとアイツの人権はどーなってると思ってんのよ、アタシ達はあんたらのおもちゃじゃないんだからね!!! 「 まぁまぁ、この話はあちらさんとも同意の上での話なんだから、アスカだって、料理とかめいいっぱい教えてもらったでしょ?」 「 そりゃ、教えてもらったけどさ、そーいう意味で教えてもらったんじゃないもん!!」 「 怒るな怒るな。おかげでいい男になっただろ?シンジ君。」 「 いよいよ明日だな、シンジ。」 久しぶりに囲む家族3人の夕食の中、いつも無口な父さんが新聞を見る事なく僕に話し掛けてきた。夜なのに、あいも変わらずにトレードマークとなった色付眼鏡をかけたままだけど、その声色はいつにもなく感傷的な響きを持っているように感じるのは気の所為だろうか? 「 ・・・そうだね、いよいよ明日だね。」 「 シンジもとうとう独身最後の夜かぁ。母さんちょっと寂しいかな。」 「 また父さんとふたりきりで生活出来るんだから、結構嬉しいんじゃないの?母さんはさ。」 「 あら、心外ねぇ。でもまぁ、それも楽しみと言えば楽しみよね、ね、アナタ?」 「 あ?・・・あ、ああ、そう・・・かもしれんな。」 柄にもなく父さんが照れた。今だに不思議なのだけれど、この母さんと父さんがどうして結婚したのかが良くわからない。母さんの昔の写真を見てみると、息子の僕でさえため息が出てしまいそうになるほど奇麗なのに、父さんときたら昔からチンピラの様な風貌で、最近ではどっかのヤクザの親分みたいな貫禄まで出てきている。良家のお嬢様タイプの母さんと、世界がまったく逆の良家の御曹司タイプの父さんがどうして夫婦になれたのだろうか?小さい頃からこの疑問については何度も母さんに聞いてみてはいたのだけれど、その度に返ってくる答えはいつも、『父さんは可愛い人なのよ♪』だ。まぁ、照れてる所は可愛いと認めるとして、他の部分にはどうも賛同し兼ねてしまう。夫婦の間には、血の繋がりよりも深い何かが存在するのだろうか、ふと、そう思った。 「 やっぱり、男の場合でも女性の様に三つ指ついて『 お世話になりました』なんて言った方がいいのかな?」 何はともあれ、僕はこのふたりが出会い結ばれてくれた事で彼女と出会う事が出来たのだから、今は感謝の気持ちでいっぱいなんだ。冗談めかして言ってみたけど、ちゃんとお礼はしたいよね。 「 あら、スカートはいてやってくれるんならやってほしいわ♪」 「 いや、独身最後なのだから、振り袖だろう、母さん。」 「 あは、あははは・・・・は。」 「 あらそうねぇ、振り袖、確かあったわよ。」 「 そうか、ちょっと着せてみるか?」 「 いいわねぇ♪」 「 やめて下さい(^-^;)。」 このふたりは、僕の事をおもちゃにして楽しむ傾向がある。いや、僕じゃないな、彼女もだから、僕たちっていうのが正しいかな。隣りに住む幼なじみの彼女と僕は、物心つく前からいつも一緒で、一緒に成長していって、お互い親よりも理解しあえて、そりゃ、色々問題もあったけど、必然のようにお互いを想うようになって、明日、法律的にも認められる家族へのステップを昇るんだ。僕、碇シンジは気が付いたら、22歳になっていた。 「 どーでも良いけどさ、なんで振り袖があるの?この家に。」 「 え?なんでって、母さんが着るからに決ってるじゃないの。」 「 ・・・振り袖ってさ、独身の女性の着る物じゃなかったっけ?」 「 細かいことは気にしないの♪母さんだってまだ若いんだから、父さんと一緒にこれ着てあるくんだもん♪」 「 まぁ・・・確かに見た目は若いやね・・・。」 結婚の早かった母さんは、それに比例して僕を出産するのも早かった。20歳前半で既に母親になっていたのだ。相手が父さんだと知った母さんの両親はかなり憤怒したことだろう(笑)。だって、父さんと母さん、実に10歳も年が離れているんだから。だから、母さんの現在の年齢は、40代半ばなのだけれど、外見はどうも信じ難い事に、未だ30代前半を保っているのだ。息子としては若くて奇麗な母親というものはやはり嬉しいものなのだけれど、ここまでだとどうにも複雑な心境だ(笑)。 「 母さん、取ってくれ。」 「 はい、アナタ。」 母さんはそう言って食卓に(なぜか)並べられていたキムチを取って父さんに渡した。父さんも自分の意図したおかずが渡されたと信じて疑わず、確認する事無くお箸を差し込んでキムチを口に運んでいる。目線は手元にあったスポーツ新聞に釘付けのままで、だ。繰り返すようで悪いのだけれど、今は夕食時、僕の独身最後の、言わば『最後の晩餐』の様なものの真っ最中なのだ。 「 アナタ、毎回言うの嫌なんですけど、新聞読みながら食事するの、止めてくださらないかしら?それに今日は独身シンジとの最後の晩餐なんだから、もっと家族の会話をしなくちゃ。」 「 ああ、わかってるよ、ユイ。」 「 じゃあ、新聞たたんで下さい。」 「 ああ、わかってるよ、ユイ。」 「 ・・・・私の話、聞いてます?」 「 ああ、わかってるよ、ユイ。」 「 ・・・・アナタ、スポーツ新聞のアダルト面って、面白いですか?」 「 ああ、わかってるよ、ユイ。」 「 ・・・やっぱり聞いてないんじゃないの(^-^)」 そう言って微笑んだ母さんの笑顔は恐かった。武道で言う所の『気』、というものだろうか、今の母さんからは得体の知れぬ殺気とはまた違ったオーラが発せられていることが確実にわかる。そのオーラの殆どが向けられている父さんも気付いたのか、少し体が強ばっているようだ。新聞を持った手が揺れて、カサカサと新聞が鳴っていた。 「 あ、ああ、わ、わかってマス、ユイさん・・・。」 「 じゃ、新聞たたんで下さいな♪ア・ナ・タ(はぁと)」 「 ・・・はい。」 「 ふふ、ははは・・・。」 僕は思わず吹き出してしまった。いつも無表情で恐い外面の何を考えてるかまったくわからない父さんが、いつもニコニコしていて優しい母さんにやり込められている姿は何とも言えないほどに滑稽だ。 「 ・・・シンジ、何がおかしいんだ。」 「 父さんと母さんの漫才。」 「 あら、漫才なんてしてないわよ、ねえ、アナタ?」 「 ああ、何故私たちが漫才などしなければならんのだ。」 「 そーゆーのって、夫婦漫才って言わない?」 さっきのおかずの件といい今の夫婦漫才といい、これからの僕と彼女もこうなるのかと思うと自然に笑みが漏れてくる。 「 誰がそんな事を決めたのだ。」 「 いや、決めてはいないけども・・・」 「 では、そんな事を言うのではない!愚息よ!!」 「 アナタ!私のシンジに向かって愚息とはなんですか!」 「 あ、ユイ・・・・さん、あの、言葉のアヤってもので・・・」 「 シンジは私の自慢の息子です!そんな事言う人には・・・わかってますね。」 「 ・・・・いや、あの・・・・だな、ユイ・・・・・さん・・・・」 「 アハハハハハハッハハハハ!!!や、やめてよふたりともさ、ぐ、ぐるじい・・・い、息がぁ・・・」 どう見ても漫才だ。僕は込み上げる笑いを堪えられずにとうとう大声で笑い出してしまった。腸がひねくりかえる感覚とは、この様な状態を言うのかもしれない。今の光景、彼女にも見せてあげたかったほどだ。 「 ・・・・そんなに笑う事ないじゃないの、シンちゃん・・・・」 母さんは心底悲しそうな瞳で僕を見ていた。この姿がまた可笑しく見えてしまって僕は笑いを堪えるのに本当に必死になっていた。敢えて父さんの方は見るまい。きっと母さんに言い込められて真っ白になっているだろうから。そんな父さんの姿を見てしまったら、僕は自分の笑いを押さえる事がそれこそ不可能になってしまう。『花婿、挙式前夜に狂笑死!』なんてバカバカしいスポーツ紙の見出しの主人公にはなりたくない。 「 ったくもう、折角母さんの手料理の味を忘れないように味わって食べようとしてるのに、これじゃ味がわかんなくなっちゃうよ・・・」 「 あら、その点なら大丈夫よ、シンジ。」 泣きそうな顔で僕を見ていた母さんの顔が突然にして輝いた。母さんってば普段は意外とわかりやすい性格をしていて、この様に表情がコロコロ変わる時は(自分にとって)得策の様なものをいつも隠し持っている。僕はちょっと不安になった。だって、僕は今までの犠牲者なのだもの・・・。 「 ・・・何が大丈夫・・・なの?母さん・・・。」 「 みっちり教育したもの♪」 「 は?教育・・・って?僕が母さんの味を出せるくらいに料理を仕込まれたって事?」 「 ちょっと残念。それはそれで大丈夫なんだけど、それじゃ面白くないもの♪だって娘ができるのよぉ〜♪」 「 娘って・・・まさか!彼女になんかしたの???」 「 あら、心外だわ。なんかしたのって人聞きの悪い・・・。教育って言って欲しいわぁ〜。」 「 ・・・どっちでも同じだよ・・・。」 「 同じじゃないわよ。だって碇家の嫁に来るんですもの。それなりに高等な教育は施さないとね♪」 ちなみにこの会話の間の父さんは、というと、新聞も読まずにひたすら無言で母さんの手料理を味わって(・・・多分・・・)いました・・・・。 「 彼女には私の味、マスターしてもらったから食事に関しては問題無いわよ♪」 「 問題ないって・・・、そりゃま、問題はないけどさ、彼女の意志は?どうなってるのさ・・・。」 「 同意の上よ。シンジもあちらで色々と教わってきたでしょ?」 「 教わってきたけどさ・・・。」 「 あちらの御両親も同意の上なんだから、全然問題ないわよ。」 母さんは、僕が彼女以外の女性と結婚するって可能性を考えなかったのだろうか?そりゃ、僕だって考えなかった、というか考えられないけどさ、彼女の持ち前の料理の味とか、どうするんだ・・・。 「 ねぇ、僕が彼女以外の女性と結婚するとか、考えなかった?」 「 全然。」 「 これっぽっちも?」 「 これっぽっちも。」 「 ・・・ホントに?」 「 まったくホントに思わなかったわよ。だって、シンジたちが生まれた時から子供同士を結婚させて親戚になりましょ♪って約束したんだもん。」 「 ・・・・僕たちの意志は・・・?」 「 あら、シンジは彼女以外の女性、考えられるの?」 「 ・・・そーいわれちゃうとね、考えられないけどさ・・・。」 「 じゃぁ、いいじゃないの。おかげで良いお嫁さんになりそうでしょ?」 「 ・・・どうだろ?」 「 あらあら、自分の選んだお嫁さんが信じられないの?可哀相よ、そんなんじゃ・・・。これからは、私の伝授した味を、シンジとアスカちゃんのふたりで自分たちの味に変えてくんだから。」 真夜中の12時頃、僕は眠れずにベランダへと出て夜風に吹かれていた。月は出ていない。零れんばかりの星々が見渡す限りの夜空を飾り立てていた。明日は、新たなる門出にふさわしいような、清々しく晴れた一日になりそうだ。 「 ・・・どうした、シンジ。眠れないのか?」 背後から父さんの声が聞こえた。母さんはもう、寝室で幸せな寝息を立てているのだろう。実際、アスカが自分の本当の娘になる事を誰よりも喜んでいたのは母さんだった。 「 父さん、なんかね、ちょっと眠れないんだ。」 「 そうか・・・。シンジ、星見酒でもするか?」 そう言った父さんの右手には『美少年』という銘柄の高級な日本酒が一升瓶ごと握られており、左手にはグラスがふたつ、握られていた。 「 いいね、やろうか。」 父さんと飲むのはそんなに珍しい事ではない。よくアスカと一緒に晩酌に付き合わされていたものだ。しかし、この様な星の瞬く夜空の下で、父さんとふたりきりで静かに飲むのは初めてかもしれない。父さんは僕にグラスを一個握らせると、そのまま酌をしてくれた。僕が父さんに酌をしようと思った時には、既に手酌で酒はグラスを満たしていた。ちょっとだけ、残念に思う・・・。 「 ・・・アイツは今頃、泣いてるかもしれんな・・・。」 「 ・・・アイツって・・・?」 「 アスカちゃんの父親だ。」 「・・・やっぱり、父親は娘が嫁いでしまうと悲しくなるのかな・・・。」 「 ・・・なるだろうな。私は娘を持った経験はないが、ユイの時が大変だったからな、なんとなくはわかるよ。」 「 ・・・その話、聞きたいな。父さんと母さんの結婚の時の話・・・。」 「 ふふ、お前がアスカちゃんとの間に子供を儲けてからな。4人で酒でも飲みながら話してやろう。」 「 ・・・今じゃ駄目なの?」 「 ・・・突然語り出すには長い話だからな。色々あったから、今からどう話すべきか考えるんだよ。」 「 執行猶予ってこと?」 「 まぁ、そんなところだ。シンジ。」 「 うん?」 「 お前は、あるひとつの幸福な家庭から、その中心を担っている人間を奪い去ろうとしているんだ。絶対に幸せになるんだぞ。そうでなければ、お前は私たちや、アスカちゃんの両親をも悲しませる事になる。自分が幸せにしてやろうなんて思うんじゃない。ふたりでお互いの幸せになるように生きていくんだ。ふたりと、そしてこれから生まれてくるだろうお前たちの子供とで協力して幸せになるんだ。」 「 ・・・それは、父さんの経験から?」 「 そうだ。私は色々と遠回りをしてしまったからな。息子であるお前と、アスカちゃんには同じ過ちを繰り返させたくはないよ。」 「 ・・・僕は、父さんと母さんの息子で幸せだよ。」 「 そうか。」 「 うん。」 「 さて、私はそろそろ寝るとするか。花婿の父親が目の下にくまを作らせて式に出席するのは、いい笑い者になってしまうからな。葛城君に一生馬鹿にされてしまう。」 「 ははは。そうだね、一生酒の肴にされちゃうよ、ミサト先生に。」 「 お前ももう寝ろ、シンジ。花婿が目の下にくまなんぞ作って式にのぞんだら、それこそいい笑い者になってしまうからな。」 「 わかったよ。お休み、父さん。」 「 ああ、お休み。」 父さんはグラスに残った酒を一気に飲み干すと、そのままベランダを後にした。昔はとても大きく見えた父さんの背中が、何時の間にか小さくなってしまった。これはきっと、僕が大人の男になってしまったからだろう。時間の流れの速さが、少しだけ残酷に思えた。 「 ・・・・私は、お前とユイが居てくれたから幸せなんだよ・・・。」 去り際に、父さんは小さくそう言った。それは、もしかしたら聞き取れないほど小さな声で呟かれた言葉で、だからこそ、父さんの本当の言葉の様に思えた。今のままでの僕ではきっと、大人の男として父さんにかなう事は絶対ないだろう。父親としての大きさなど、父親になっていない僕には敵うはずもない。それ以前の問題だ。父さんの小さな背中が、とてつもなく大きな背中に見えた。それはきっと僕が大人の男に成長して、少しだけ物事の本質の意味がわかるようになってきたからだろうと思う。一生敵わないにしても、僕はいつか夫として、父として、限りなく父さんに近づきたいと心底そう思った。僕は僕として、守りたい人を精一杯守りながら父さんに近づく。アスカが隣りで微笑んでいてくれるならば、可能な道程だ。アスカの顔を、間近で見つめたくなった。 夜中の12時頃、アタシはシンジとの挙式に緊張してしまい、なかなか寝付く事が出来ないでいた。どうせ眠れないならば、少しでもスッキリさせるためにとシャワーを浴びるために部屋を出たのだが、アタシの足はリビングの入り口から漏れてくるパパとママの会話に釘付けにされてしまっていた。ふたりに気付かれぬよう、アタシは見えないところに座って、膝を抱えて耳を澄ましていた。 「 ・・・アスカはもう寝たのか?」 「 そうみたいね。さっき部屋に行ったから・・・。」 「 とうとう明日・・・、もう今日か・・・、アスカとシンジ君の挙式は・・・・。」 「 そうですね、私、結構ハラハラしてたのよ。」 「 なんでだ?」 「 だって、娘を取られる父親の姿、知ってるもの。」 「 ・・・そうか、そうだな。お前と私の時が大変だったからな・・・。」 「 あの時は大変だったものね。よく殺傷沙汰にならなかったものだと、今でも不思議なくらいだもの。」 「 ふふ・・・。私は顔をボコボコにされたよ、憶えてないのかい?」 「 憶えてるわよぉ。あの時のアナタって、とっても格好悪かったわ。誰の目からみてもね。」 「 ・・・悪かったな。」 「 でも、私には誰よりも格好良く見えちゃったのよね。たとえ両親と縁を切られてしまったとしても、アナタに一生ついていこうって、決心しちゃったもの。」 「 ・・・あの時の私は、確かに格好悪かったよ。思い出すだけで恥ずかしいくらいだからな・・・。でも・・・」 「 でも、なに?」 「 あの時の私は、あれで精一杯やっていたよ。お前を手に入れるためには体裁なんて気にしていられなかった。必死だったよ。そうやって、お前を手に入れられたんだから、嫌いではないよ、あの時の自分はな・・・。」 「 あの時の話、シンジ君とアスカには話してあげないの?」 「 ・・・お前が話せばいいじゃないか。」 「 私は私の言葉で語るわ、あのふたりにね。アナタは、アナタの言葉でふたりに聞かせてあげなさいな。」 「 ・・・そう、だな。ふたりの間に、子供が出来たら4人で酒でも飲みながら語るとするか。」 「 あら、今すぐは語ってあげないの?」 「 今すぐに語るには長すぎる話だからな。なにをどう話すかをゆっくりと考えてからじゃないと語れないよ。」 「 執行猶予かしら?」 「 ははは、犯罪者じゃないんだから。まぁ、そんな感じだな。」 「 それにしても意外だったわ。アナタがあんなに簡単にアスカを嫁にあげちゃうって承諾するなんて・・・。」 「 そうか?」 「 そうよ。だって、私、娘を持った父親の心境、良く知ってるもの。」 「 それは言えてるな。」 「 どうしてあんなにすんなりと承諾したの?」 「 ・・・シンジ君は私が望んでいた以上に良い青年に育ったよ。彼はそんな私の望みを知らずに、だ。悔しいが、不満がないんだよ、殆どな。私は彼を認めてしまっているから・・・。娘を取られたくない父親の心境は最近思い知らされたが、シンジ君に対してその事で反対しても、ただの愚痴にしかならないんだよ、娘を取られたくないってだけのね。それに・・・」 「 それに?」 「 お前との結婚を認めてもらえるまでの経緯がな。男としては、シンジ君とアスカを精一杯応援してやりたいんだ。彼は一見、なんの苦労も知らない世間知らずのボンボンに見えてしまうんだが、小さい頃からの彼を見てきているから、そうじゃないのは良く知っているさ。外見とは裏腹に、辛い決断を自分の意志で何度も越えてきた。そんな男に愛される女というのはきっと、喩えようもない幸せを感じる事が出来るんだろうと、そう思うんだ。だから、承諾した。昔からの約束というのは無視してな。」 「 ・・・そう。そうね、シンジ君だったら、アスカを誰よりも、それこそ私たちよりも幸せにしてくれるわね。」 「 まぁ、父親としては腸が煮えくり返るような感情は今でも抱いているけどな。」 「 フフフ・・・。人間だもの、それはしょうがないでしょ。私はね、アナタと結婚してから今までずっと、きっとこれからも変わらずに、喩えようのない幸せを感じているわよ。」 「 そ、そうか。」 「 あら、なに年甲斐もなく赤くなってるの?可愛いわね♪」 「 ・・・からかうんじゃない。」 「 初々しいわ♪さて、私たちももう寝ましょ。花嫁の両親が目の下にくまなんて作って式に出席したら、いい笑い者になっちゃうわ。」 「 そうだな。早く寝て、最後の私たちだけの娘のために早起きして送り出してやらなければな。」 アタシは涙が流れ落ちるのを堪えられなかった。足早に、しかし両親に気付かれないよう注意して、自分の部屋、それも今日が最後になるであろうアタシだけの部屋にもどった。声こそ漏れなかったものの、涙はとめどなく流れ止まらない。これは悲しみのための涙じゃなくて、嬉しさと感謝の気持ちが現れた幸せの涙。両親がアタシの事を大切に想い、育ててくれた事、シンジが、そんな両親に認められるほど逞しく成長してくれた事、アタシを誰よりも愛してくれている事への、感謝の気持ちがつまるだけつまった幸せの涙だった。アタシは、今以上にパパとママの娘であることに感謝した事などなかった。このふたりの娘で本当に良かった、心の底からそう思う。そして、アタシの隣りにシンジが居てく居れるという事を心から嬉しいと思った。間近で、息の触れ合うほどの距離で、シンジの顔を見つめたくなった。 カーテンから漏れる太陽の柔らかい光と、空を自由に舞い踊る雀の声によって、アタシの意識は次第に覚醒していった。時計は6時ちょっと過ぎを指している。アタシはあの後、泣き疲れて気付かぬうちに寝てしまったらしい。泣いていた割には清々しい朝だ。それはきっと、幸せを実感しての涙だったからだろう。アタシと、シンジの新しい門出には最良の夜明けだ。アタシは、涙の跡の残った顔を隠すために、足早に洗面所へと向かった。 冷たい水が一層アタシの意識を覚醒させてくれる。期待と不安、それに酷似した様々な感情がこの胸に渦巻いているのがわかる。シンジも同じなのかな、ふと、そう思った。 顔を洗い終わったアタシは、毎朝の日課になってる牛乳の一気のみをするべく、リビングへと向かった。驚いた事に、ソファーには既に起きていたパパが居て、のんびりと朝刊を読んでいた。 「 あ、パパ。早いんだね、おはよう。」 「 ああ、おはよう。アスカこそ、早いじゃないか。」 アタシは冷蔵庫の中の牛乳パックを取り出すと、アタシ専用のコップではなく、シンジ専用のコップを取り出して牛乳を注ぎ、一気に飲み干した。 「 なんかね、すっきりと目が覚めちゃった。やっぱり緊張してるかも、アタシ・・・。」 「 そんなに一気に飲むと式の最中にお腹が痛くなるぞ、アスカ。」 「 ははは、そんな漫画のギャグの様なことはしないって、パパ。」 牛乳のなくなったコップに水を注ぎ、しばらくそのまま放置する事にした。牛乳っていうのは結構しぶといもので、簡単に注いだだけではきれいに落ちないのだ。知識としては知っていたのだけれど、実感したのはつい最近だった。 「 なぁ、アスカ。ちょっとそこまで一緒に散歩しないか?」 「 ?いいけど、どうしたの?」 「 いや、お前が嫁に行く前にな、一緒に歩きたいと思ってな・・・。」 「 ・・・そうね、ちょっと待ってて、着替えてくるから。」 アタシは急いで部屋に戻ると、簡単にブラッシングをして無難な服に着替えた。普段出かける時などは結構気を使って服選びには時間をかけるのだけれど、今日は別にいいか、なんて思った。もうすぐ仰々しいまでのウェディングドレスをこの身に纏うのだから、楽な服装で十分だと思ったからだ。別にシンジと歩く訳でもないしね。 「 おまたせ♪」 「 随分早かったな。」 「 アタシもね、早い時間の外をパパと歩きたかったからよ。」 「 そうか、じゃ、行くか。」 「 うん。・・・あ、ママは?」 「 まだ寝てるよ。」 「 そ。じゃ、行こ♪」 「 なぁアスカ、腕、離して歩かないか?」 「 なんで?独身最後なんだからいいじゃない。アタシと腕組むの、イヤ?」 「 嫌って事はないがな・・・」 「 あ、パパ照れてるの?かっわいい♪」 「 こら、パパをからかうんじゃないよ、アスカ。」 まだ起きる前の街は意外と静かだ。それが住宅街となるとさらに静かになる。雀の囀りが聞こえる中、アタシはパパの腕に自分の腕を絡めながら朝の散歩を楽しんでいた。 「 とうとう今日だな、アスカ。」 「 そうだね、今日だね・・・。」 「 ・・・シンジ君は、凄い男だよ。」 「 ・・・どうしたの?急にさ。」 「 いや、なんとなく・・・な。」 「 まぁ、凄いとか凄くないとかってのは別にしてもさ、アタシが選んだんだもの、当り前だよ。」 「 そうだな、アスカが自分で選んだんだものな。」 「 うん!」 「 幸せになれよ、アスカ。」 「 なるよ、なれるよ、シンジと一緒だもの。」 「 お前は、私たちという家族の幸せの中から、シンジ君という人間に奪われていくんだ。だから、私たちと居た時よりももっと幸せになるんだ。そうしないと、私もママも、シンジ君の両親さえも悲しませてしまう事になる。」 「 ・・・うん。」 「 ただ、幸せにしてもらえるのを待つだけじゃ駄目だ。ただ待っているだけでも、シンジ君はお前を必死で幸せにしてくれるだろうが、お前はお前自自身でシンジ君を幸せにしてやれ。お互いがお互いの幸せになるんだ。そして、いつか子供が授かったのなら、その子供と一緒に幸せな家庭を一生懸命築くんだよ。」 「 ・・・うん。」 「 私が、お前とママが居たおかげで幸せを実感出来ていたように、シンジ君にも実感させてやれ。」 「 そうだね。アタシは、シンジがアタシの隣りに居てくれる事で、喩えようもない幸せを感じてる。でも、シンジはどう感じているかは良くわかんないわ。シンジは優しいから、きっと辛くてもお首にも出さないと思うの。アタシはアイツの妻になるんだから、言葉じゃないシンジの気持ちを精一杯感じていきたい。」 「 ハハハ。ノロけにしか聞こえないな。でも、シンジ君はお前が隣りに居るだけできっと幸せなんだよ。」 「 ・・・なんでわかるの?」 「 彼の表情さ。アスカが居る時といない時じゃ違うんだよな、表情がな。」 「 そうなの?」 「 そうさ。お前がいない時のシンジ君の表情なんか、アスカが見れる訳がないのだからしょうがないが、お前が居る時のシンジ君は心底幸せそうな顔をしているよ。」 「 ・・・そうなんだ。なんか嬉しいな・・・。」 「 アスカだってそうだぞ。私たちと居る時だって、シンジ君がいるかいないかだけで表情が全然違う。シンジ君が居る時は凄く柔らかな表情をしているよ。」 「 ・・・そ、そっかなぁ・・・」 「 そうだよ。何時からだろうなぁ、お前がシンジ君の前でしか見せない表情を持つようになったのは・・・。」 「 ・・・・なんか、ゴメン・・・。」 「 フフフ・・・。謝るくらいなら幸せになれ。この世界で誰よりもな。」 「 そうだね、幸せになるよ、アタシたち!」 「 そうだ、それでいい。・・・なんか知らんが向こうからシンジ君が歩いてくるぞ、ユイさんと一緒に。」 「 え???」 何時の間にか、アタシとパパは昔から良く遊びに来る小さな公園の前まで歩って来ていた。思い出が沢山刻まれた公園。悲しい事も、楽しかった事も、嬉しかった事も、全ての記憶の中に必ず存在していると言っても過言ではない公園。4年前に、シンジに結婚しようと言われた場所も、この公園だった。 「 さて、私はユイさんと世間話でもしながら帰るとするか。お前はシンジ君と一緒に、独身最後の恋人の逢瀬を楽しんでこい。」 「 あ、パパ!」 パパはトンッとアタシの背中を押した。振り返った時のパパの表情は、この上なく柔らかな笑みに包まれていた。それはきっと、アタシの幸せを、幸せになる事を一生懸命応援してくれている父親の微笑みだったのだろう。アタシもちょっとだけ微笑むと、前を向いてシンジの方に歩いていった。 「 アスカ!」 シンジもアタシに気付いたようだ。なにも走らなくてもいいのに、ユイおばさま(もうすぐお義母さまになるけど・・・)の元から駆け足でアタシの方へ向かってきた。 「 おはよ、シンジ♪」 「 おはよう、アスカ。どうしたのこんな朝早くにさ・・・。」 「 ん〜、パパと散歩。独身最後だから、娘としてはサービスしないとね。シンジは?」 「 まぁ、似たようなもんかな?母さんと独身最後の散歩だよ。」 「 色んな話、したでしょ。」 「 うん、なんでわかるの?」 「 シンジの事だもの、わかるよ。アタシもね、パパと色んな話、しながら歩いてきたからさ。」 「 そっか。ねぇ、公園のベンチに座らない?」 「 うん!」 アタシたちはお互いの親に軽く挨拶を済ませると、公園のベンチに腰を降ろした。シンジのお母様、ユイさんは柔らかな微笑みでアタシを見つめてくれた。今日、あと少しすれば、アタシはあの人の娘になるんだなぁと考えると、段々と現実味が増してきた。シンジもそうみたいで、なんかお互いにちょっとだけ落着かない状態だった。 「 とうとう今日だね、アスカ。」 「 そうね、今日ね・・・。」 なんとなく落着かなかったけど、それでもシンジが隣りに座っているだけで気持ちがとっても穏やかになっているのがわかる。アタシは、パパが言っていたことが本当なのかどうか、シンジの顔をそっと覗いてみた。 「 ?なんか僕の顔についてる?」 「 ・・・目と鼻と口。」 「 ・・・あたりまえでしょ・・・。」 やっぱり良くわからない。アタシと一緒に居る時のシンジの表情は心底幸せそうに見えるってパパは言っていたけど、アタシにはいつものシンジと見分けがつかない。まぁ、アタシがシンジと一緒に居ない時は、アタシには見る事が出来ないのだから当り前なのだけれど、普段はどんな表情をしているのかちょっと興味がある。結婚したら今度尾行でもして見てみようかしら・・・。 「 いい天気だ。晴れて良かったね、アスカ。」 「 うん、ホントそうよね。雨が降ったらどうしようかとか思っちゃったわ。」 「 ・・・天気なんか関係ないんだけどね、でも晴れてるとなんか良いよね・・・。」 「 そうねぇ・・・。」 「 僕たちふたりのこの先がさ、晴れた空みたいに清々しい道程だって、なんか実感できるよ。」 「 うん。でも、きっと色々あるのよね、この先。」 「 大丈夫だよ、僕とアスカがふたりで生きていくんだもの。どんな事が起こっても平気だよ。」 「 そうよね、アタシとシンジが一緒なんだもの。世界が滅びそうになっても平気だよね。」 「 ああ、平気だよ。」 アタシたちは手を繋ぎながらしばらくベンチに座っていた。言葉は、ひとつも発する事がなかったけどとても満ち足りている。愛という形のないフワフワしたものを確実に実感していた。それは、アタシの隣りにシンジが居ないと感じられないもの、シンジの隣りにアタシが居ないと実感出来ない感覚。アタシたちは何時の間にか、気が付かないうちにふたりでひとつの存在になっていたのかもしれない。アタシがいて、シンジがいて、そしてふたりが手を繋いでいて、世界は正常な姿を保っているのだ。アタシたちが出会っていなかったり、お互いを想っていなかったりする世界はきっと壊れた世界。とっても自分勝手な、自己中心的な考えだけど、アタシたちはそう思って疑わない。運命という言葉を使うのならば、それは生まれる前から決っていた事。成るべくしてアタシたちは今日、夫婦になるのだ・・・。 「 さて、そろそろ帰って準備しなきゃね。」 微笑んだシンジがそう言った。独身の時間は刻一刻と減って来ている。次に会う時は夫婦の契りを交わす時。ほんの僅かな、束の間のお別れだ。 「 そうね、準備して、アンタが真っ赤になっちゃうくらいおめかししなきゃね♪」 「 期待してるよ、アスカ。」 「 腰抜かすなよ、バカシンジ!」 「 ハハハ、気を付けるよ、アスカ。」 「 じゃ、帰ろう。」 「 うん、別々に帰らない?シンジ。」 「 ?なんで?」 「 まぁ、さ。独身最後の時間をお互いひとりで過ごしてみない?」 「 アスカがそうしたいなら、そうしようか。」 「 じゃ、決まり♪恋人としては最後かな?」 「 表面的にはね。気持ちはずっと恋人だよ。」 「 ・・・幸せにしてね、シンジ。」 「 ああ、約束する。だから、アスカも僕を幸せにして。」 「 うん、約束する、バカシンジ♪」 新しい道を歩き出す時が迫ってきた。アタシは、目の前の、数時間後にはアタシの夫となる人と、恋人としての最後のキスを交わした・・・。 ほんの一瞬、幸せな微笑みを浮かべるアタシとシンジの未来が垣間見えたような、そんなイメージの様なものが、シンジの唇からアタシの唇へと伝わってきていた。 |
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